部員数 (2025/12/25 現在)
| 学年 | 男子 | 女子 | 全体 | 経験者 |
|---|---|---|---|---|
| 4年 | 16 | 1 | 17 | 17 |
| 3年 | 15 | 3 | 18 | 18 |
| 2年 | 11 | 6 | 17 | 15 |
| 合計 | 42 | 10 | 52 | 50 |
練習日程
指導体制
主将挨拶
東京大学運動会剣道部の創立は、明治時代まで遡ります。明治新政府が発足し、近代化が推し進められるなか、我が国の最高学府として東京大学(1886年に帝国大学に改称・改組)が設立されました。一方で、明治維新後の剣道界は剣術を表芸とした武士階級が消滅したことによって、衰退の一途を辿っていました。このような状況の中で、剣術衰退を憂い、撃剣興行を考案したのが榊原鍵吉でした。そして、撃剣興行による剣術の復活とともに、東大剣道部は誕生します。明治15年(1882年)に榊原鍵吉を聘して開いた撃剣会を土台として、明治19年(1886年)に帝国大学運動会並びに撃剣部が創設されました。
明治後期以降、学生剣道界が急速に発展するなか、この気運の先頭を切ったのが東大剣道部でした。大正10年(1921年)には、第一回東大京大対抗剣道定期戦が大日本武徳会本部武徳殿で開催され、戦前は昭和18年(1943年)の第22回大会まで続きました。また、大正13年(1924年)には東京帝国大学主催の全国高専剣道大会が始まり、官学・私学共に参加の機会を与えたことで、学生剣道界の一大行事として盛況を呈し、剣道界の発展にも貢献しました。
昭和13年(1938年)には、東大剣道部の三代目の道場「七徳堂」が完成し、今日に至るまで道場として用いられています。(詳しくは、「七徳堂」の項目をご覧ください。)
戦後、学制改革により旧制東京帝国大学が旧制第一高等学校を吸収合併し、新制東京大学が設立されました。東大剣道部は、GHQによる剣道禁止期間を経て、本郷で活動する東京帝大剣道部と駒場で活動する一高撃剣部の二つの流れを汲んで、昭和28年(1953年)に復活しました。以後、現在に至るまで本郷の地で稽古に励んでいます。
昭和29年(1954年)、先述した京都大学との定期戦が復活し、一橋大学との定期戦も始まりました。その翌年(1955年)には、防衛大学校との定期戦も始まりました。防大との定期戦は、東大紛争の影響を受け、昭和43年(1968年)から昭和47年(1972年)の間、中止していましたが、昭和48年(1973年)に復活しました。この三大学との定期戦は、現在に至るまで伝統行事として連綿と続いています。そして、平成15年(2003年)には、ソウル大学校との交流試合も始まり、剣道を通した国際交流も行っています。
東大剣道部の卒業生は、官界・財界・学界の幅広い分野で活躍しています。また、全日本剣道連盟初代会長の木村篤太郎先輩をはじめ、数多くの全剣連会長を東大剣道部出身者から輩出するなど、剣道界にも多大な貢献を果たしています。
歴代部長
| 氏名 | 在任期間 |
|---|---|
| 仁井田 益太郎 | 明治末〜大正 |
| 塩谷 温 | 大正末〜昭和6年3月 |
| 今井 時郎 | 昭和6年4月〜昭和7年9月 |
| 塩谷 温 | 昭和7年10月〜昭和9年11月 |
| 島薗 順次郎 | 昭和9年11月〜昭和12年3月 |
| 塩谷 温 | 昭和12年4月〜昭和14年3月 |
| 高田 真治 | 昭和14年4月〜終戦 |
| 結城 令聞 | 昭和28年6月〜昭和38年3月 |
| 坪井 善勝 | 昭和38年4月〜昭和44年3月 |
| 中井 準之助 | 昭和44年4月〜昭和54年3月 |
| 和田 達雄 | 昭和54年4月〜昭和59年3月 |
| 豊田 裕 | 昭和63年4月〜平成6年3月 |
| 坂本 功 | 平成6年4月〜平成18年3月 |
| 柿島 美子 | 平成18年4月〜平成22年3月 |
| 藤本 隆宏 | 平成22年4月〜令和2年3月 |
| 小林 修 | 令和3年4月〜令和6年3月 |
| 大石 和欣 | 令和7年4月〜 |
東大剣道部出身の全日本剣道連盟会長
| 代 | 氏名 |
|---|---|
| 初代 | 木村 篤太郎 |
| 二代 | 石田 和外 |
| 四代 | 庄子 宗光 |
| 五代 | 大島 功 |
| 六代 | 景山 二郎 |
| 七代 | 武安 義光 |
| 八代 | 張 富士夫 |
| 九代 | 稲川 泰弘 |
東大剣道部の道場である七徳堂は、昭和13年(1938年)に完成した歴史ある道場です。昭和8年度全国大学高専大会での大島功先輩(旧姓市村、第五代全日本剣道連盟会長)の個人優勝を記念して作られました。本郷キャンパスの多くの建物の設計を行なった内田祥三の手により設計され、それらに見られる内田ゴシックの形式とは対照的に、御殿的な荘厳さを併せ持つ和風の道場となっており、雄渾、剛健な気風を天平風の意匠で表現しているのが特徴です。平成16年(2004年)に、東京都選定歴史的建造物に指定されました。
「七徳堂」は、当時の剣道部部長の塩谷温博士の命名であり、『春秋左氏伝』の「武有七徳」の一節に由来しています。「七徳」とは、禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財のことを指し、「武は暴を禁じ民を安んじ、太平を開く所以のものである」という意味が込められています。
道場にはクーラーが完備されており、快適な環境で稽古ができます。また、男女シャワー室、洗濯機等の設備も充実しています。
東大剣道部の手拭いには「遊於道」という言葉が書かれてあります。 この手拭いの由来は、昭和初期(戦前)まで遡ります。当時の道場番の部屋には、東大剣道部第一師範であった木下寿徳先生が揮毫した「遊於道」の額が掲げられていました。 それを見つけた庄子宗光先輩(第四代全日本剣道連盟会長)は字も立派で言葉も面白いため、手拭いにしようと思い立ち、庄子先輩が中心となって剣道部特用の手拭いをこしらえさせました。 この手拭いは、全国高専剣道大会等でも配布され、東大剣道部のトレードマークとなりました。
戦後、東大剣道部が復活した際に、長崎実先輩が「遊於道」の手拭いを復元され、以後現在まで用いられ続けています。
現在、我々は「遊於道」を「工夫を凝らし、試行錯誤を経てできることを増やしていく過程を楽しむ。夢中になることで剣道そのものを味わい、探究し、好奇心を増やしていく。そして剣道部にいること自体を楽しむ。」という意味が込められていると解釈し、日々「遊於道」の精神を胸に稽古に励んでいます。